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池田証志記者とお話ししました。

2010/12/12 15:52

 

昨日(2010年12月11日)は「情報ネットワーク法学会・第10回研究大会」に参加してきました。

 

第二分科会「見えてきたか?ネットジャーナリズムの姿」

のパネラーとして、池田証志(産経新聞編集企画室)、藤代裕之(ジャーナリスト/blogger)、小笠原盛浩(東京大学大学院情報学環助教)、司会は橋場義之(上智大学教授)でした。

 

池田さんは産経新聞ですし、藤代さんは元徳島新聞です。

3人のバネラーの内で二人が新聞人でしたから、新聞の事情の紹介が非常に興味深かったし、産経新聞がウェブ版では先行していること、記事のアップデートが速い点も、ネットを見ているからという説明がありました。

 

わたしも、会場から発言しましたが、新聞社が紙の新聞が売れなくなった時代に、それぞれのビジネスプランを模索していて、新聞社の横並び状態は経営方針の段階から違い始めているのがよく分かりました。

 

ずいぶん急速に変わっているのだな、と改めて感心しました。

ある意味で、新聞業界に期待するところが大きくなってきました。

 

酔うぞ拝

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五十嵐徹論説委員の考えは間違っていると思う。

2010/03/08 12:09

 

論説副委員長・五十嵐徹氏は「日本のモノづくりは真央型か、ヨナ型か」と題する記事で、

 「技術立国」「モノづくり大国」を自任する日本。その原点を一言で表すなら、「かゆいところに手が届く、職人技の仕事ぶり」ではなかったか。

 手間を惜しまず、使い手のニーズをいつも念頭に、高い完成度を目指す。その姿勢がメード・イン・ジャパンを高品質の代名詞へと押し上げた。この基本は、金選手が目指してきた世界とも一致する。

 ところが、肝心の本家のモノづくりが今、世界から厳しい目を向けられている。「予期せぬ急加速」に端を発したトヨタ自動車の大量リコール(回収・無償修理)問題である。

 「世界のトヨタだ。大事には至るまい」とする当初の楽観論は早々に姿を消し、火勢はいまだ衰える気配がない。米議会の公聴会は乗り切ったが、連邦大陪審の調査次第では刑事訴追の可能性も消えていない。

 日本製品への評価がいまなお品質の良さ、完成度の高さにあるのは幸いだが、それだけで生き残れるほどグローバル経済時代の市場は甘くはない。

と意見を述べているのだが、わたしにとっては信じがたい思いなのであるが、この記事内では「製造業」だけから「かゆいところに手が届かなくなった」としか読めない。
本当にそうなのか?

昨今の、検察・警察の不手際や、医療機関・児童相談所が関わる「防げただろう死亡事故」については「かゆいところに手が届いていたがやむ得ない事故」だというのだろうか?

確かに製造業の質的な低下はあるところだが、それは製造業界の問題なのか、日本の社会全体の問題なのか?

日本社会は、「かゆいところに手が届く」事をどれほど評価しているのか?
大阪の橋本府知事に至っては、「競争に負けた高等学校は無くなれ」といっている。
「何の競争して」という話しすらない。このような事を是認するから「結果重視社会」になって、プロセスである「かゆいところに手が届く」なんて事は全く評価されないわけだ。

要するに、論説副委員長・五十嵐徹氏は「結果の評価は仕組みとしないからやらないが、製造業はかゆいとこに手が届くような犠牲(コスト)を支払うべきだ」と言っているのに等しい。

そういう無理な主張を言えるのは、結果しかないマスコミ人だからだろう。
今どき何をいうのかと、強く批判する。

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大丈夫と言うほど信用されなくなる

2009/09/30 19:08

 

前原国交省が日航に対する海外での信用不安に対して

 

「信用不安を懸命に打ち消すとともに自主再建を目指す考えを改めて強調した。」

 

わけですが、こういうことをすると今まで考えていなかった人も「本当に危ないのか?」と思うようになるわけで、日航の危機は本格的な段階に入った、と見るべきでしょうね。

 

それにしても、これだけ多数の航空会社があるときに、特定の航空会社が経営危機になるというのは、普通に考えて単なる経営ミスでしょう。

そこを直さないで、対策したって一言で言えば延命措置に過ぎないのであって、当然危機は続きます。

 

どうするつもりなんだろう?

とは世界中が思っていることだし、だから信用不安になる。

 

年を越せないのではないのか?

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自民党の罪は深い

2009/09/20 11:46

 

自民党総裁選が始まって、河野太郎氏の「毒舌」が大きく報道されていますが、言っていることは当然のことだし、少なくとも問題提起にはなっている。

谷垣禎一氏が捨て石になるのは勝手だが、責任者の一人であることもまた確かでしょう。
責任者だから出るなではなくて、責任者だからどうする?何が問題だったのか?を明確に述べるのかと思ったら、何もしない。

これでは河野氏から叩かれてしかたあるまい。

自民党総裁選挙でこの調子では全くアテにならない

近い将来に、民主党政権に取って代われる実力のある野党の地位に復活するとは、思えない。
むしろ、総裁選挙後に自民党の分裂・政党再編の可能性が高くなって来た、と見るべきではないだろうか?

民主党政権に対する論評の中に、自民党政権では避け続けてきた、中国韓国との交渉問題などを一気に舵を切る、とするものや、死刑の執行凍結は当然だといった意見が多くあって、それらの記事や意見は「いかに自民党政権と変わるのか」を強調して「だから○○」と結論づけている。

しかし、当然ながら過激で急速な変革は、すぐに問題にぶち当たって政権は崩壊する。
原理的には、政権が交代しつつ政治が洗練することが良いのであるが、先に書いた通り「民主党政権に取って代われる政党がない」ことがはっきりしてきたのだから、何がなんでも民主党政権を長持ちさせなくてはならなくなった。

つまりは、民主党政権には看板やアドバルーンを下げてもらうしかないし、あまりに極端なことを言う閣僚には交替してもらう必要が出てきた。

それにしても、自民党を野党にしてみたらこの体たらくというのは、さすがに誰も、ひょっとすると自民党自身も知らなかったのではないだろうか?

学者の評論などをもっと重要視するべきなのだろう。

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とういう層からの出身議員を良くないと考えるか

2009/07/04 23:01

 

高橋昌之氏の記事「世襲は悪か(上)」に以下の一文がある。


>世襲議員でだめな議員もいれば、優れた議員もいます。
>一方、世襲ではなくてもだめな議員はいますし、立派な議員もいます。
>つまり、国会議員の質を向上させるには、世襲を制限することが本質
>ではなくて、政党の候補者選定制度を厳格なものにすることこそ
>重要だと思うのです。

しかしこれは問題点なのか?

問題点ではないし、解決するべきこともない。
いわば前提条件と言うべきだろう。

良い議員を求めるのは社会の権利であって、そのために立候補者を政党などが事前に審査するのは当然のことだろう。
重要だと思うではなくて、当然のことであって論じるべきはそのためにどうするべきかだが、さらにその前に「世襲議員のどこが悪いのか」という部分を切り込まないと、甲論乙駁のままで結局「やってみないと分からない」になるだろう。

わたしが思うのは、世襲議員が「議員の仕事しか知らない」ことが問題だと思う。

簡単に言えば、公職なのだから専門家ではまずいわけだ、世の中を広く知っている人たちが多数集まって議会を構成し、その議会が「社会を代表している」と世間から認められなくてはいけない。
そうでない場合はいずれは「所詮は議会は世の中を知らないから。無視無視」となっていくだろう。

つまりは世襲議員に代表される「政治しかできない(知らない)議員はお断り」なわけです。

世襲議員が親の仕事をそのまま引き継ぐ=世間を知らない、というのは分かりやすいが、実は松下政経塾を代表とする政経塾に入る者が若くして「政治しかやらない」のが選挙上手ゆえに大勢当選している。

彼らと世襲議員は何が違うのだ?
現実に、政党は選挙上手ということで世襲議員や政経塾出身議員を高く評価している。
そうでない全くの素人に対しては「素人だから」と見てしまう。

選挙戦において、選挙上手であることは政党にとっては重要な要素ではあるが、松下政経塾出身者の実質的な横断組織のようなものは、長期的には日本を危うくするだろう。
要するに世襲議員の地盤の引き継ぎのようなことも、政経塾出身者の先輩・後輩の間で行われている。

世間は、世襲議員を厳しく見るのと同じに政経塾出身議員を厳しく見るべきだと思う。
 

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怪××商品の“効能”は

2009/05/06 10:59

 

怪××商品の××の中には何でも入ってしまうわけで、ダイエット商品の宣伝の字句が薬事法違反というやり方では、対応できるわけがありません。 ちょっと振り返ってみても、近未来通信は「サーバーのオーナー」が商品でした。円天では電子マネー

考えてみると、道丸記者の記事中で触れている法律についても

■行政処分は追いつかず

 国民生活センターによると、痩身に関するネットトラブルは、平成12年以降、500件以上報告されている。ここ数年の増加は顕著で16年は25件だったのが、17年は68件、18年は83件、19年は102件、20年は160件と、年々増え続けている。

 相談内容は「ネット広告で簡単にやせる、効果がなければ返金すると出ていたのでカプセルを購入した。しかし、体重が増え、返金も拒否された」「メールでサプリを注文したが、予定日になっても届かない。問い合わせても、話し中で通じない」などだ。効果だけでなく、販売方法もいい加減な業者があることが分かる。

 こうしたあやしいダイエット商法を取り締まる方策はないのだろうか。

 東京都は4月、サプリメントを飲むと「必ずやせる」「20キロやせる」などとうそを言って高額なサプリを販売していた豊島区の業者に、特定商取引法(不実告知など)違反で6カ月の業務停止を命令した。

 経済産業省によると、健康食品のネット販売などの通信販売で、虚偽の内容や誇大な広告を出すなどした場合、特定商取引法違反となり、行政処分の対象となる。経産省は19年11月、ネットで健康食品を販売していた業者に対し、同法に基づく行政処分を出した。

 ただ、こうした商品が「健康食品」ではなく「医薬品」と認定されれば、薬事法で規制される。

 厚労省によると、一般的に「やせる」「夜寝る前に飲む」などと効能や用法をうたった場合は「医薬品」と解釈され、その「医薬品」が未承認であれば、薬事法で宣伝や販売が禁止されている。

 厚労省は「こうした行為に気が付けば、行政指導をしている。悪質な場合は行政処分も行う」と話す。被害拡大を防止するには素早い対応が不可欠だが、「ネットはすぐに消えてしまうので、指導する前にサイトがなくなっていることも多い」(厚労省担当者)。対処はなかなか追いつかないのが現状だ。

そもそも、役所が経産省であったり、厚労省であったりする。ダイエット食品でこれなのだから、サーバーなら総務省になるし・・・・・、きりがない。

これを一括してなんとかしようというのが、消費者庁です。

しかし、消費者庁が出来たとしても、元々がインチキ商品で一山当てようという業者に対して今の法律や役所の対応では不十分なことが消費者庁が出来ただけで一気に変わるのか?と考えてみると、なぜ現在も取り締まっても次から次にこの手のインチキ商法が出てくるのか?という問題に直面します。

これについて、2009年3月26日に衆議院の消費者問題特別委員会で開かれた参考人質疑で、紀藤正樹弁護士が持論を展開しているが、インターネット中継の映像として記録されています。

紀藤弁護士の主張は、現行の行政処分とは別にその商売で得た利得を没収してしまえ、というものです。

2009年4月27日に「中国産ウナギの産地偽装、魚秀社長らに有罪判決」がありました。
この事件は結局、罰金総額が2700万円なのですが、産地偽装で得たとされる儲けが3億円を超えていると早く羅報道されていて、有罪になってもそのお金は行方不明のようです。

紀藤弁護士は「詐欺で刑務所に入っても最長で10年、普通は2~3年だからその間に1億も稼ぐことが出来るのなら、詐欺は割がよいと考えている」と指摘しています。
これでは、罰金刑などでは抑止力がないわけで、犯罪によっても得た収入を先に没収してしまうよな手法などを新たに始めるべきだとなります。

その代表が、行政機関などが個人に代わって訴訟を起こす「父権訴訟」であり、突き詰めると行政が「民間と民間の争いには関与しない」という方針自体を変える必要があるなります。

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この犯人のやらかしたことは重大だ

2008/11/30 10:06

 

元東大生が文科省幹部の殺害予告「教科書と違う…だまされた」

文部科学省の局長らの殺害予告をインターネットのブログに書き込んだとして、警視庁捜査1課は29日、脅迫の疑いで、東京都文京区本駒込、無職、前田記宏(ふみひろ)容疑者(25)を逮捕した。

東大を卒業したが就職していないといい、「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があることを知り、文科省にだまされたと感じた」などと供述。ほかに東大教授の殺害予告も書き込んでいたが、元厚生次官ら連続殺傷事件と関連はないという。

調べでは、20日午前8時ごろから午後0時50分ごろまでの間、自宅パソコンで自身のブログに「文科省官僚への殺人予告をしているのは私です。1週間以内に次の者を順次、自宅で刺殺する」などと書き込み、文科省初等中等教育局長ら幹部10人の実名を挙げて、脅した疑い。

この記事が出てきたときに「バカなヤツだな」と「たかが、インターネットの落書きでまた逮捕かよ」という二種類の感想でありました。

ところが今日になってこの犯人が、わたしがよく読んでいるブログの閉鎖に直接関わっていることを知った。

「[緊急告知]ボツネタと管理人のHPが終了するかもしれません・・・」
先日,ボツネタの書き込み欄において,管理人が,犯罪被害者となり,
捜査当局も巻き込み,大変な騒ぎとなりました。
今回の件が,捜査当局や,管理人の勤務先の当局など,各方面に与えた影響は甚大で
ボツネタ及びtopページをこのまま継続することが
かなり困難な状況となっています。
必要な情報,ソフト等がありましたら,
万が一の場合に備え,DL.魚拓などで個人的に保存されることをオススメします。
なお,ボツネタを引き継いでくれる方がいらっしゃいましたら
管理人までご連絡いただければ幸いですm(__)m

このブログの管理人は、岡口裁判官で「裁判官が発信するブログ」としてよく読んでいました。

わたしにとっては、突然「刑事事件になった」と取れる内容で「一体何が起きたか?」とずーと疑問であったのですが、先のニュースの犯人がこのボツネタでアラシをやっていて、2ちゃんねるでは2007年9月からスレッドが立っていました。
わたしが気がつかなかったのは、ボツネタで即座に削除といった措置を取っていたからのようです。

確かに事件はインターネットの落書きではありますが、ボツネタが継続不可能になったということが、社会的には大損失です。
逆に言えば、もっと早めにこんなバカな落書きをあっちこっちにするような人間をネット上で隔離するような手法を取ることが出来れば、最終的に逮捕といった事態にはならなかったのではないのか?と思うところです。

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自由とは、法的規制の中にしか存在できないはずだ。

2008/11/24 17:22

 

「金融危機で急転する「G20」 自由経済と多極化の戦い激化」

ブッシュ大統領の変革は、証券の会計基準見直しと、国際通貨基金IMF)や世界銀行の改革にとどまり、G20参加国の一部から出されている国際金融体制の大規模な改革にはあくまでも慎重な姿勢を崩さなかった。

各国政府は、債権市場の凍結解除と投資家の信頼回復や、世界経済の景気後退阻止に向けて、これまでに多額の資金を市場に投じてきただけに、事態が行き詰まり、自由市場に懐疑的になるのは無理もないところだ。

それでも、ブッシュ大統領は、今回の危機は自由市場の失敗に原因があるのではないとし、「解決の答えは制度の改革にはない。直面している問題を解決するのに必要な改革を行い、世界中に繁栄と希望をもたらしてきた自由市場の原則を推進していくことだ」と強調した。

各国とも保護主義的な経済政策には否定的でも、どこまで自由市場を管理するかをめぐる溝を埋めるのは難しいようだ。

問題は、自由と称して全くデタラメの商品を売ることを許すのか?詐欺は被害者がバカだからとするのか?ということなのではないか?

先物市場を作ることは、需給の安定には欠かすことが出来ない。
債券市場が必要なのも当然だ。

しかし、リスク分散の名の下にリスクが分からない金融商品を作ることが詐欺商法ではない、と断言できるものなのだろうか?

冷静に考えれば、リスクが高いものを集めてリスクが低減するわけがないだろう。つまりは、ラベルの貼り替えによって中身が見えなくなって、それをリスクの低減と称していただけではないのか?
要するに詐欺だろう。

ブッシュの主張する「自由経済」とは切り取り勝手の世界に他ならないもので、法律よりも自由ということなら、支持できないのが当然だ。

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ドルの価値がいまだに下がらないことの意味について

2008/10/05 23:44

 

田村秀男記者のイザブログの記事「いくらドル札刷っても足りない米金融危機」はここまでズバッと書いている記事がほとんど無い状態で、非常に光っていると感じるのだが、ここらヘンまで来るとわたしにはよく分からない世界に突入しつつある、と言えます。

ポイントはココだろうか?

  • 米国はこの9月一ヶ月だけで、もう一年分以上のドル札を増刷したことをご存知だろうか。
  • なぜ国際的に市場ではドル資金不足が続くのか。金融商品バブルが崩壊したためで、歴史的には前代未聞である。
  • 金融のグローバル化によりドル建ての金融商品が世界に出回っている。清算してドルの現金に替えなければならないが、手元にドルがない。
  • ドル資金は不足しているのだから、ドルが今のところ暴落するはずはない。
  • 垂れ流され続ける通貨の価値をだれが信じようか。
  • 歴史的には超インフレ、通貨暴落というあまたの事例がある。
  • FRBは)この一ヶ月余りで一年分をはるかに上回るドル資金を刷っては市場にしたことになる。

田村記者は「最後の貸し手を助ける究極の貸し手が必要なのだが・・・」と結んでいます。

中国が最後の貸し手になる、黒字国の日本が引きうける、などという話は以前からあるわけだが、そもそも基軸通貨であるドルに即座に取って代わるような通貨も信用もほかにはないわけで、ドルがこれほどのむちゃをやらないだろうという前提での、ドル決済だったのだから最終的にはドルの信用を元に戻すしか無いように思う、しかしそれは可能なことなのだろうか?

わたしの理解では、通貨も手形も借金の証文も同列のものであって、結局は紙切れにどうやって信用を付けるのか?という問題に帰着する。
個人よりも企業、企業よりも国がより信用できる、多くの国々の中でもアメリカは一番信用できる、だからドルを信用する。というのは非常に分かりやすい。

そのアメリカの信用が怪しいとなると、国際金融市場そのものが「何を信用すればよいのか分からなくなる」事になると思う。

もちろん、普通の企業においても、少額決済なら信用問題がほとんど出ないのと同じで、貿易が止まるなんてことにはならないだろうが、国際共同開発といったものについては「何で保証するのか?」という問題が出てくるだろうし、そもそも問題が出てくるようだと国際プロジェクトのようなものは真っ先に止まってしまうだろう。

旧来のブロック経済のようなことをやっても、どの国にとってもメリットが無いだろうから、取りあえずは個別の貿易の手間が激増するような事になる気がする。

どうやって担保設定をすれば良いのか?が分からないことになるから、国際間でも借り手には恐ろしく過酷な時代になるのか?
もちろん、日本は国際金融収支も利子・配当も、現物輸出も黒字の国であるはずだが、買い手の国が買えないのでは輸出国にも大変な時代が来る。

アメリカの実体経済が、他国を圧倒して巨大なのは全く変化が無いわけだから、水ぶくれになってるドルを身の丈に合わせれば良いはずなのだが、それを普通はインフレという。

第一次大戦後のドイツや日本の終戦直後のインフレは、極端な物不足であってモノの価値と通貨の価値を比較した場合、モノの方が優位であったから通貨の価値が低くなったインフレであった。と理解している。

しかし、今回のアメリカのドル過剰問題は、実物経済を上回ってドルを供給したからであって、いわゆるバブル修正の過程で生じたインフレと同様になるのだろうか?

その意味では、日本の土地バブルの時代に、土地に多額の資金を貼(は)り付けたのと同じ事を、世界中で行ってしまったわけで、なんとかしてファンドなどからドルを取り戻して減らしてしまうことでドルの価値を正常に近づけようとするのが、原理的に正しい経済運営だとは思う。

しかし、日本でも土地バブルをいまだに完治したとは言いがたいわけで、アメリカをもってしても今回の状態はすぐに修正できる事なのだろうか?

今回の騒動は、確かにアメリカのファンドなどが世界規模でバブルを作っていたのは間違えないが、それにのった政治がレーガノミックスであり金融ビッグバンであったのだろう。
金融の自由化そのものは正しいとは思うが、金融はどこまで行っても実物経済とは両輪の関係だろう。
それを「時価総額評価」を重視するとはどういうことか?当然、実物経済である開発などを、おろそかにし、あるいは全くのデタラメで株価だけ持ち上げても時価総額重視ではそれでも良いとなってしまう。

現実の生産にかかわる点を見極めるのが、株式市場であったはずなのに、いわゆるバブル企業は何をやっているか分からないけど、上場企業になっていたなんてことがあった。
そのようなまさにバブルの状態は長続きしないということの証明が今回の騒動そのものであり、レーガノミックス以来の金が金を回して稼げばよいという手法が無理であった、としないとドルを身の丈に合わせることができないのではないだろうか?

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和田氏の意味不明の「正論」

2008/09/01 11:11

 

長い「評論」であるが、さっぱり意味不明だし、当然「対策」も対策ではない。

大学生の学力低下が事実であることを説明するのは良くも悪くもないが、その最後が「資格試験の導入しろ」で終わっては、何のことだか分からない。

当たり前だが「資格試験を導入すると、大学生の学力がこうなって、大学はこうなる。だから資格試験を導入するべきだ」と書くのが当然だ。

大学生の学力低下の理由に和田氏は少子化を取り上げている。
少子化で大学が間口を広げたから(平均)成績が下がった、と言いたいのだろう。

一方で、入試の簡易化も成績を下げている、と述べている。それも事実だろう。

これは「学力低下の問題」ではなくて「大学進学率の不適正」ではないのか?

それほどまでに「学力」は重要視するべきものなのだろうか?
学力に含まれない、コミュニケーション能力、社会常識の欠如などは問題ではないのだろうか?

社会にとって、いや個人にとっても人生における最優先課題は学力向上ではない。
社会常識など社会で個人がきちんとした地位を占めること、社会に影響を及ぼすことが重要であって、学力はそのためのツールの一つだろう。

だからこそ、教育には家庭教育、社会教育、学校教育がある、と言われてきた。
いわゆる学力が学校教育の中のさらにその一部であることは明白だ。

和田氏は、文化系に進学した大学生が分数が出来ないのが問題だ、としていることが「学力重視」の観点からは間違えだろう。
分数などという余計なものは学力ではない、として受検に打ち込んで学力を上げたのだから、学力重視という観点ではこの学生は正しく「学力向上路線で進学した」と評価するべきだ。

明らかに「従来の学力重視ではダメだった」ということ以外の何かなのか?

酔うぞ拝

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